kigyostartupのブログ

読んだことを片っ端から忘れてしまうので、忘れないように、要約を記録することにしました。

大平正芳——理念と外交

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第68、69代内閣総理大臣大平正芳の軌跡を追うもので、大蔵官僚、官房長官、外相などを歴任しながら不遇の時も経て、田中角栄内閣で外相として再起した後、日中国交正常化を筆頭に、様々な外交成果を残したうえで、首相となってアジア太平洋連帯構想を掲げ、志半ばに病に倒れるに至るまでの、各時代に直面した課題と処し方から、外交姿勢や政治理念を紐解き、生前は伝わりにくかったが、近年は再評価されているとしている。

序章では、大平が香川県の現在の観音寺市に農家の三男として生まれてから、父親が早世し、一度は進学を断念しながらも、高松高等商業学校に入学してキリスト教徒となり、東京商科大学を卒業するまでを追います。

第1章では、大蔵省に入省した大平が、横浜や、中国大陸への赴任で、池田勇人伊東正義らと邂逅し、交流を深めていき、太平洋戦争を経て大蔵省の要職を歴任した後、池田蔵相の秘書官となったことで、政治かを目指します。

第2章では、政界に進出した大平が、吉田茂池田勇人らを称賛する一方で、日米安保改定と岸信介には批判的で、実力が伴わない中での双務性が単兵急であり、答弁姿勢の受け身に情熱がないと断じます。

第3章では、池田内閣の外相として、日韓国交正常化を果たしますが池田の不信を招き、核密約を知らずに答弁したことがライシャワーを慌てさ、台湾との断交覚悟で中国に近づきます。

第4章では、第三次池田内閣から佐藤内閣にかけて、冷遇された大平は読書に励んだ後、通産相に返り咲くと、沖縄返還交渉の最中、米国に対する筋違いの譲歩を拒み、宏池会の会長になります。

第5章では、田中内閣の外相として大平は、日中国交正常化を果たし、核搭載艦ミッドウエーの横須賀母港化を密約にもとづいて容認した他、金大中事件と前後して日ソ共同声明に署名し、石油危機では産油国支持に回わり、日中航空協定交渉でも筋違いな譲歩を拒み台湾航空機の乗入れを維持します。

第6章では、蔵相となった大平は力を落としつつあった田中角栄に密約の公表を迫るものの実現せず、三木内閣でも蔵相に留任すると、健全財政を目指して増税し、田中がロッキード事件で逮捕されると、福田赳夫内閣を経て、自民党総裁選を制します。

第7章では、首相となった大平は、環太平洋連帯構想を唱え、日米関係を同盟と呼び、東京サミットを経て世界秩序の不安定さを指摘し、対中円借款を決めた後、環太平洋連帯構想の実現に向けて慌ただしく諸国を回ります。

最終章では、外遊から帰った大平は、不信任を突きつけられて解散に踏み切るものの、心筋梗塞によって入院し一時は回復の様子を見せるも急変し、最期を迎えることとなり、弔合戦の様相を呈した自民党は圧勝します。